note、やってます<(_ _)>
このところ、東京23区の都市景観にかかる写真集などの編集、リリースにひと段落ついたのでホッとひと安心。
東京を2012年頃から取り始めて、その間に写真学校にキッカケを得るために在籍、卒業したり、大学以来の学生?生活とビジネスを併用しながらようやく、マイルストーンを置くことができた感じ。
ありがたいことです。
なお、写真集にまとめたメインになった1冊が、「地」を歩く -東京23区 2018-2025-です。
また、東京23区を歩き尽くして感じた主だったプリミティブな要素を集約し、まとめた見開きA3サイズ、つまりA4縦位置の写真冊子が4種類、計5種類のまとめを本、小冊子で残すことができました。
まずは、関係する皆様方へ御礼申し上げます。
各種写真集・写真冊子のページ
www.kthe3rd.com
皆様のご感想・評
田中長徳氏「アンソロジー写真集」出版プロジェクトから 応援投稿
写真集が初めての方も、多くのストリートやコンポラや、それにかかわらず、世界に興味のある方へ田中長徳さんの「アンソロジー写真集」を手に取ってみて感じて欲しいと、心より応援しています。
ぜひ、田中長徳氏の集大成とも云える写真集を手元におき、いつでも開いて「世界を見るという体験」を味わってほしいです。
"If you're new to photo books, or interested in street, contemporary, or just the world, I really hope you'll check out Chotoku Tanaka's "Anthology" and see what you think. I truly support this book."
"Joining this crowdfunding might help you realize what it means to see the world."
FROM K.
写真を如何に展開するか?コンパクトなまとめ(趣味なのか仕事なのか?決してプロとかアマチュアという陳腐なものではない)
うーん、悩ましい事。IT化?デジタル庁?DX?
目的が異なるとのこと。言ってることは尤もなんだよなー。
ただね、ファックスがようやくなくなった!ってPRする社会で(つまりIT化以前の問題)DXをやろう!!!って、結構頑張ってるね。応援したい!
なので、もう一度言う。
基幹系と情報系くらいは理解する大臣であってほしい。情報の統合のリスクと、分散の意義くらい誰でも理解していることを共有してほしい。オードリー・タンほどの天性のものは求めていないから、がんばれ。
んで、なんでも繋げちゃえばいいもんでもないので、
このページの記述はかなりザッパだけれど、基幹系についてはしっかり書いてあるように思う。情報系って、結構幅広いからね。BIとかETLとか書いてないしさ。ERPって聞いたことあるっしょ。担当大臣なんだから。。例えばそれが基幹系。BIってのとかが情報系。
【じゃ、ざっくりと基幹系と情報系について、偏らんようにしてみた】
日立系のサイトから
www.hitachi-solutions-create.co.jp
アメフトで有名なオービックって会社のサイト
(オービックビジネスコンサルタントじゃないよ、似てるしわかりにくいけれど)
で、BIってこんな感じ。昔はOLAPとか言ってた。ビックデータは「DWH」Data Warehouseの略。だからね、変わってない基本的な要素は。言い方変えただけじゃん。こまごま「違う」っていうのは専門性の壁ってやつね。
(サップって読んだらNGらしいね、JAPって呼ばれたらいやでしょ。って、転職した奴が言ってた。僕もその会社にはいないけれど・・・いい会社だったよ。)
【考えた方がよい、っていうか必須ポイント】
あの事件を思い出したらいいんじゃないか?
某実力組織の国境にかかる地域の指揮系統を司るトップと幹部がほぼまとまって「一台のヘリ」に搭乗して、墜落したらしい、という事案。割と最近の事。民間の外資系企業でもそんな「無茶」はしないって聞いた。企業のルールで決まってるってさ。
そういうことを、やめた方がいいんじゃないですか?単純に、「統合する」のをやめてもできるシステムってありそうですが???
大田区生まれなんで、懐かしい土地から選出された平さんだっけ?河野さんのしりぬぐいすることになるっしょ。やめなよー。厚労省を巻き込むのもよくないなー。国民の命を質に入れて、なにしてんですかー?
※冒頭のイメージはnoteの仕様に従ってお借りしています。
はい!!!河野さんと平さんへ、プレゼント♪
Money Don't Matter 2 Night -Prince-
最近、世間が「金」「金」「金」で、正直しんどいというか、原理宗教みたいで気持ちがよくはない。適切な価値なのかはなはだ疑問だ。
その熱狂(フィーバー)が沸騰するほど、エコシステムを破壊するし、目の前の課題としても、人を破壊するから。程よくしてほしいものだ。
そういえば、Princeもそうだけれど、フレディも、マイケルも、結局はショービジネスから入って、その拘束力と抗争した人物だったね。今はそういう人はいないし、そういう発想自体を思い起こす事が難しいのかな?
さらにいえば、経験豊富な人ほど飼いならされやすいのが現代の象徴的な現象でもあるかな?
あと、寿命を如何に長くしたいか、とか。
寿命は役割の分だけあればよいのだ。どうしてもそれ以上のものを求めるひとはその分雑多な事を頑張れば、長生きはある程度できるはずだろう。
誰かが「100年働いて、もっと稼いで税金を支払いなさい」と、言っているなら、まずは、その発言を無視するところから、自らの本来の自立が始まるのだろうね。(それは善意で言っているものか?よくよく考えればいいのだ、その判断の自由こそが民主的というのだから。)
※プリンスがメッセージ性の高い曲を作ったりするのをあまり聞いたことがないので、彼にしては珍しいタイプの曲だと思う。
#プリンス #Prince #ショービジネス #MoneyDontMatter2Night
「感覚と意識の【バランス】の上で、われわれは生きている」養老孟子氏のムービーより
この動画の内容にあるけれど、それが「アート」だと、養老氏は気づいたという。
そういえば、「東京の空間人類学」(ちくま学芸文庫)という陣内秀信氏の一冊でも似たような事を書いてあった。
「都市の中身を構成する新旧織り混ぜた様々な要素とが巧みに混淆し、世界にも類例のないユニークな都市空間」と、東京は評される事があるという。
ということを書いている。それはヒトから見るとそうなんだよね。
その後に、養老氏のこのムービーを見ると、人類学だから陣内氏の評価は適切なんだと気づく。
それ以前に、人類がエコシステムの一部だという事は現代のコモンセンスになったので、人類学の目指すところはその基盤の上にある事だろうね。すると、戻ってきて、次に気付くのは「生物学」や「生命論」ということになる。
※つまり、ヒトはその壁(ブルグ的・城壁内的)の内側で何を認知してきたけれど、それが行き詰ったのが現代。
そこで、それぞれの分野の本物の専門家である陣内氏や養老氏や、そして生物学では「動的平衡」を展開する、福岡伸一氏ということになる。いずれの専門家も研究の到達点や通過点で「同じ価値基盤」に接続しているように見えることなんだよね。
その何れも、基礎に備わっているのは一般教養課程に他ならないので、もっと乱暴に言えば、義務教育なんだろうと思う。その義務教育が良い悪いという問題は除外しておくけれど、本来、その時期にすべきことだろうと思うんですよね。
つらつら書いていたら、結局、アートも科学研究も、生物学も、基礎学問も、エコシステムも、すべて繋がっていることに気付くんだ。そこに下手な壁を作らなきゃいいのに。写真なら、新しい文化なので、なおフレッシュさを失うには早すぎないか?って事も思ったりする。
で、養老氏のここでもいいたそうなのは、「体験・経験・感覚」の割合があまりに薄いので、世間が混乱しているのでは?と、言っているように僕には聞こえてくるんだ。
写真も僕は同じところがあって、写真表現や写真作家?というのは、写真は割と付属物なんで、例えば「歩行」(感覚)が僕の優先事項だ。その過程で写真がぽとぽとと、こぼれてくるみたいな感じ。まとめるのは人間に戻って「意識優先」でやってるって、気づいてくる。
今のところ、そこらへんまではわかり始めてきた。
たまには、カメラとかの話もしたい。即興で楽しむ感じで。名取・東松論争からカメラの楽しさまで。

名取・東松論争
これについては、シンプルに名言しておく。
名取洋之助について、私には評価の埒外である。名取と比べるなら土門拳が同時代では好きだといったら意味が通じるはずだ。要は写真と社会のつながりを重視しているという事なんだけれどね。
さて、たまにはカメラの話でもしたい。
手元にある、「キャノン 2d」(いわば、バルナックライカタイプのレンジファインダーカメラ)だ。北井一夫氏も初期に使っていたという情報は入手している。
僕はあまりフィルムの管理などが得意ではない、ずぼら人類である。
だから、このバルナック式を使うのはとても楽しいのだけれど、さらに楽しいと言っては語弊があるけれど、36枚のフィルムを使い切った後、そのままパトローネからベロだしをして、無意識に再利用してしまう悪癖があった。それがこのような冒頭の写真を結構な枚数生み出した。だめだけど、面白い。
カメラって、造形的な面白さがあって、見ているだけでもシミジミと感じ入る雰囲気がある。
実際に、関東カメラあたりに行けば、直せる個体も多い。(緑色の基盤を使わないプリミティブな個体に限る)
基礎的な要件さえ、体得していれば、割と適正に近い写真はすぐに撮れるし、フィルムの装填も楽しいインターバルになる。ちょっと一区切り、という感じ。デジカメだと、そうは行かない。
特に、ある程度のデジカメとの付き合い方ができてこないと、いつまでもひたすらシャッターボタンを押し続けるという無間地獄に喜んで陥る羽目になる。なんの修行かとも思う。
それに対して、バルナックみたいなちょっと一区切りのペースがつかみやすいカメラは、撮影のペースを自らの本然的なペースにより戻してくれる。うれしいのだ。
しかも、中古ばかりだが、基本的になぜかそこまで高価ではないものがほとんどだ。
バルナック式のソ連版でもある、FED2あたりになると、シャッター音が盛大になるので、おー、今確かにフィルムに露光しただろう!という喜びはひとしおである。しかもFED2あたりは、ソ連製のインダスターあたりで撮影すると、そのシャープさは驚愕のものがある。
そんなことも、たまには思い起こしていると、写真を撮るってのが、すばらしく広い価値から自分に合うものを見つけて、楽しめる事に改めて気付いたりする。
写真行為ってのは、純粋に楽しく、良いアドレナリンがでるし、リズム感なんだよね。
最後に、ひとつ思っていることは「楽しい事とリズム感」で、街を歩くと最高に楽しい。
では、また。

GIGAZINEさんがほんとの事をを書いてしまった・・・
いつの間に?帝京大学って変わったね、1996年卒業生から見た「充実度」
このサイトにちょくちょくたどり着くのだけれど、意図していたわけじゃない。が、よく見ると毎回帝京大学の「自分流」というキーワードらしき打ち出しと、バナーが見える。しかも遭遇率が高いので「???」って思ってたわけだ。
まぁ、一旦話を整理するために今日一日の振り返りでもしながら、時間を行き来してみたい。
今日は、うちの地域では地方選挙の投票日だった。
今回は、二択だった。
「もう選挙なんていかないなんて、言わないよ絶対」(槇原敬之さん、ごめんなさい、オマージュしました。)というより、もっと強烈に思ってた。
行くもんか!30年行ってなんも変わらなかったじゃんか!って、この一年ほどは勝手に葛藤していたのだ。ある意味、怒り心頭だった。隠しがたいほど態度にも表れていたはずだ。
そうはいっても、政治が生活と結びついていることは、大学生時代から理解していたので(つもりかもしれないが・・・)、自ら投票を放棄した記憶はない。特に、この一年はいやいやでも、行っていた感じだ。この30年の間に投票先の考え方も変わった。それは別の機会にでも。
ただ、先の国政選挙の結果が、少々その気持ちの整理を促したかもしれない。さらにアメリカ大統領選は、確信めいたものを感じた。※アメリカ大統領選挙は特に、理解不能な結果に見えたので、その構造を確認するという作業を促している。
さて、そんなわけで、これ以上時代が反動に巻き込まれていくのを何とか食い止める一助になればいいなと思ったりして、一票を投じてきたのだ。結果は知らないけれどね。※反動というのは歴史用語で、進歩の反対。時間軸でいう単位的な後退かな?民主的だったら、政治体質が封建的にもどる。みたいな事。
そんな一市民の一票で何がかわるか?
なんて事は考えるだけ、野暮だ。やる事をやればいい。他人が何か言っても、その信念みたいことに紐づいた行動については、参考程度で話半分に聞いておけばいい。ただ、あれ、これ使えるじゃん。というような身体で読める、共感できることには耳を傾ければいいのだ。
それが積みあがって、選挙結果がでてくる。(それを平然と無視する制度的欠陥が現在の選挙制度にはあるが、そこも、今は割愛。要は死票が多すぎる制度だってこと)
さて、そんな感じで投票所に行って、約5分程度?そんなにかからないで、投票を終えた。
最初に投票に行ったのは、学生時代(20歳)だから、実はこのサイトの運営大学が母校である僕にとって、このサイトと出会ったのがちょうど、「もう選挙なんていかないなんて、言わないよ絶対」と、完璧に決め込んだ時期だったのだ。「迷える子羊」ではない、「迷えるおじさん」だ。
(夏目漱石さんすみません。ストレイシープのくだりの「いくじなし」という呟きが聞こえてきそうです。三部作の一冊(三四郎だっけ?)を中学生の時に読んで、そのくだりだけが覚えている光景なんです、笑)
とにもかくにも、「迷える子羊」であったのは学生時代は間違いないので、ちょっと、こっぱずかしくもなったのだ。そういうところは学生時代から変わってないな。。。。ってね。ここまで書いたような事もほぼ本質的に変わってない。
大学に入って、最初に驚いたのは、誰も勉強なんぞしていなかった衝撃の光景だった。いや、本当は違うのだけれどね。時代もモラトリアムだったし、まるで、ドン・キホーテみたいに、時代遅れの人の感じだった。と思う。多分。だって、卒論をまとめるために入学したんだ!とか頭の中で息巻いていたからね。
割とそういう人もいたみたいだけれど、よく4年も通ったと思う。さっさと大学を辞めて、やりたい事に集中してもよかったのだ。けれど、そんな思考回路すらなかった。(だって迷える子羊だから、笑)
本格的に、大学の価値がわかり始めたのは、3・4年次だったかも。ゼミってやつが、稼働し始めたころかな。
「あ、これ、やりたい事だったかも」
つまり、あきれたり、バイトに邁進したりして、大学という存在のプライオリティを下げる作業をどんどんしていった時期なのだ。その文脈で、ようやくかい、ずいぶんと「実学」を売りにしていた大学だったけれど、色々な意味で「実学」の時間をくれたなー。と、思ったりしていたのだ。
だったら、もったいない使い方しないぞ。みたいな。
まるで、この数年の投票の動機と似ているじゃないか!
こんな時代に投票しても(ぶつぶつ・・)といいながら、仕方なく我慢して投票しては、結果をみて「なんじゃこりゃ?」と、ずーっと思っていた。
多分、団塊2世には割といるかもしれない。現在の50歳前後かな?
ただ、違うポイントは、「投票した」と「卒論書いた・まとめた」がイコールではないってことかもね。どう違うのかはちょっと書くのはやめておこうと思う。
なんでって、結果がなんであれ、政治に対する基本的な態度は変わりそうもないから。つまり、投票したら放置プレイにはさせないってこと。放置プレイさせたから、悪事をすぐしたがる。笑
まあ、みなまで書くとうるさい感じになるんで、それはここまで。
で、冒頭の「いつの間に?」ってのは率直な気持ちで、「実学」って、行ってたのは覚えてる、それが「自分流」ってちょっと温度が変わった。いいじゃん。もともと個人主義的な発想の人間だと自分の事を理解しているので、素敵だなぁ、今の学生さん、うらやましいな。って思った。
せっかく、こんな「総合博物館」なんてできているなら、久々に行ってみようかな?なんて気分にもなるのだ。そんなハイカラなもんはなかったからね。(卒業してから母校に行ったのは今迄で一度だけ。写真専門学校に約10年前に入るときに卒業証明書と成績証明書だっけ?のコピーをもらいに行った時だけ)
んで、感じいいので、はりつけておく。辻仁成さんとコラボしているようだ。




